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青森旅行してきました【2022年5月31日】

先週の木曜から日曜にかけて、久しぶりにプライベートで旅行してきました。
行き先は、青森県です。今日はその顛末をご報告いたします。

そもそも、何故青森か。
それは、最近私が縄文時代についてハマっているからです。

何故、ハマっているかは、ちょっと置いといて。
まずは初日の様子です。

午後2時半ごろ、飛行機で青森空港に到着。
空港でレンタカーを借りた我々は、空港から10分の距離にある小牧野(こまきの)遺跡へと向かいました。

ここは閉校した小学校をリノベして、展示施設としています。
まずはこの「縄文の学び舎(まなびや)小牧野館」を見に行きました。

遺跡から発掘された夥しい土器の数々。
中でも、この「狩猟紋(しゅりょうもん)土器」は、表面に狩猟の様子が描かれています。
よく見ると、大の字の獣らしき模様と、それを狙う弓矢のような意匠が見てとれます。
この壺型の入れ物は亡くなった人のお骨を入れたもの、土器棺と呼ばれるもだそうです。

展示施設から車で少し行くと、日本最大級の縄文時代に作られた環状列石(かんじょうれっせき、いわゆるストーンサークル)があります。
縦・横横、と規則的に石を並べて作った直径が最大で55mにもなる大掛かりなものです。
使われた石は2,900個。
縄文人たちは何の目的で、これほど手間のかかるモニュメントを制作したのでしょう?
こんな大掛かりな構造物は大勢の人が長い時間をかけないと作れないはずです。

そうまでしてこれを作る情熱?理由?動機?
ぜひ、知りたいものです。

このあと、青森市内のホテルに投宿しました。

2日目は青森市から少し足を伸ばして、日帰りで八戸まで行ってきました。

目的はやはり縄文遺跡。
このオシャレな建物は「八戸市埋蔵文化財センター・是川(これかわ)縄文館」
ここには隣接する是川遺跡(これかわいせき)や風張Ⅰ遺跡(かざはりいちいせき)などの遺物が収められています。

新しいだけあって、館内はきれい!
展示の仕方も色々と工夫されていて、飽きませんでした。

土偶といえば、遮光機土偶(しゃこうきどぐう)!
一番有名な、左足のない遮光器土偶は東京国立博物館にありますが、それ以外にもたくさん出土しているようですね。
下のふたつは、重要文化財に指定されています。

次の土偶、よく出来てる〜。
繋がった眉毛やサザエさんみたいな髪型。
そしてちょっと気だるげな表情。
右手で左頬を押さえて、歯でも痛いのでしょうか?
「頬杖土偶」と名付けられています。

そして、ここの目玉といえば。

国宝に指定されている「合掌土偶」です。
ついにご対面〜!

縄文人が作った土偶が、長い時を経て現代に蘇り、多くの人の目に触れる。
作った縄文人も想像してなかっただろうなー、この成り行きは。😅

八戸市からの帰り道、ちょっと遠回りして酸ヶ湯(すかゆ)温泉へ行くことに。
そしたら、なんと!

雪ですよ、雪!😳
山の中とはいえ、さすが青森。

到着。
ここは白濁した硫黄泉。
「ひば千人風呂」という大浴場が売りの湯治場で、宿泊も立ち寄り湯もできます。

はぁ〜いいお湯だった。

さて。
旅の楽しみといえば、何と言ってもご当地グルメですよね。

もちろん我々も青森では、色々と美味しいものをいただきました。
なかでも印象深かったのが、ホタテです。

お刺身はもちろん。🤤

ホタテフライ。
マジで絶品でした!

ホタテ貝焼き味噌、というメニュー。
いや、美味しいの何のって。

バター焼きも絶品でした!

さて、3日目。
いよいよ、三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)へと行ってきました。
これは三内丸山遺跡の展示施設・時遊館(じゆうかん)。立派です。

ここは縄文時代のイメージを変えた、と言われるほど画期的な発見が次々となされたところ。

縄文人は食うや食わずの貧しい生活をしていた、というのが以前のイメージ。

でしたが、この遺跡を発掘した結果、縄文人は栗などを栽培しながら定住生活をしていたこと。
季節によって、その時々に豊富な食べ物を自然から得ていたこと。
取りすぎないように、上手に取る量をコントロールしていたらしいこと。

さらには、今どんな食物を手に入れれば良いかを知るための目安として、夏至冬至や春分秋分を認識していたらしいこともわかってきています。
言ってみれば究極のSDGsだったそうです。

「縄文カレンダー」

この東京ドーム9つ分とも言われる広大な三内丸山遺跡では、1,700年もの間、人々が住んでいたことがわかっています。

想像つきますか?
現代から見て1,700年前と言ったら、古墳時代ですよ。
そんなにも長い間、一つの場所で定住していた。
だからこそ、芸術性の高い土器や土偶などを作ることができたりしたんでしょうね。
縄文時代は我々が思っていたよりも、はるかに物質的にも精神的にも豊かだったようです。

下の写真は、再現された竪穴式住居に入る私です。

それにしても、1,700年!
縄文人の平均寿命は30歳ちょっとと言われています。
1,700年間で、どれだけの世代交代があったのでしょうねー??
医療のない時代に、お産は命懸けだったはずです。
営々と命を繋いできた祖先たちに、頭が下がります。

この遺跡を代表する重要な発見がこちら。
通称「縄文ポシェット」です。
上手に編まれていて、中に栗の化石が一つ残っていたことから、縄文人たちはこのポシェットを使って栗などの木の実を採集していたのだろうと想像されています。

材料はヒノキ科の樹木の皮。
金属の道具がない時代に、どうしてこんな均一の太さに樹皮を整形できたのか。
縄文人たちの技術の高さに、ビックリです。

普通はこういった植物由来のものは、分解されて長い年月の間になくなってしまうのが普通らしいのですが。
低湿地帯で空気が遮断され水分が豊富にあった環境下で、奇跡的に残ったものだそうです。

日本各地の遺跡では、大量の土器や土偶が出土していますが、動物の形は珍しいのだとか。
特別展示企画のために各地から集められた動物型の土器。
左3つは猪、右下はクマ、右の真ん中はシャチ。
右奥の香炉型土器はてっぺんに魚のような形がついていますね。

縄文ウォール。
発掘された本物の土器があしらわれています。

一般収蔵庫。
夥しい数の土器が、2度目の眠りをむさぼっていました。

さて。時遊館見学を終えた我々は、ボランティアのガイドさんと共にいよいよ遺跡見学へと出かけました。

「北盛土」という場所です。
ドーム型建物の中に土器の発掘現場がそのまま残されていました。
こんなに出てくるんだ、土器って。
整理するだけで大変ですね。

こちらは「南盛土」
上は平面的でしたが、下は垂直に発掘跡を残してあります。
ちなみに壁から飛び出ているのは、土器、だそうです。

建物のあとから推測して復元された大きな建物群。

特にこの6本柱は高さが15m!
ですが、縄文時代の本物は高さが25mもあることがわかっているそうです。

たっぷりと縄文時代を実感して、太古の昔に思いを馳せることができました。

さて。
最後の夜はちょっと奮発して、青森県産の食材を使ったフレンチを食べに行きました。

いやー楽しかったです。
ダイビングとは何の関係もない記事を最後までご覧いただき、ありがとうございました!😅


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